「多数の暴力を正当化するならいじめも正義になるだろ」問題についてこんなレスがありました。
正義じゃなくて正当では?
言いたいことが不明ですが「正しくはないけど仕方ない」「必要悪」ということが仰りたいのでしょうか。「差別」が必要悪だというような物言いは、決して一般化の許されない、どれほど慎重に運用しても危険性を排除できない類の言説だと思うのですが、せいぜい学校のいじめ程度のくだらない出来事を正当化するために運用するとは、余りにもその危険に対して脳天気すぎやしませんか。
イルかもいじめするっていうしなくならない問題だろ。
更にお返事がてら質問を。
(1)人間とイルカを同次元で語る理由が不明です。進化的な近縁性や社会性を問題にしてゴリラやチンパンジーを例にあげるならまだ分かりますが。それとも単に脳の重量だけの問題なのですか。それにそもそもイルカの同属攻撃行為を比喩的に「いじめ」と呼ぶだけならともかく、それを人間社会に今日見られる「いじめ」を正当化するための根拠にするのは数段階の飛躍があると思います。
(2)たとえば家庭内に差別がある家庭もあれば無い家庭もあります。家庭は社会の最小単位であるとすれば、差別が社会に不可欠だとは言えないと思いますがどう思いますか。(ある主張が一般化できないことを証明するには一般的な反例を一つあげれば充分だ、ということは御理解いただけますよね。)
(3)『本人と正義感強い奴といじめの場所から遠いところにいる奴』=『いじめの当事者以外の全ての人間』ということですか?『当事者以外の全ての人間』が「不当」と思っているならあなたの論理に基づいて、それは共同体においては「不当」な行為と呼ぶべきなのではありませんか。
ちなみに私は正当か不当かをそういう基準で決めるべきではないと思っています。とある「いじめ」が正当であるか無いかについて共同体が判断する根拠は、それが共同体の利益や存続に対してマイナスに働くか否かという部分で判断されるべきだと思っています。
タイトルは手紙って本の言葉だよw