そこに打算があってもいいのだが、Disってくる相手に対しては、こういう「以徳報怨」態度で接した方がいいと思う。
売り言葉に買い言葉のような対応になってしまうと、妖怪「どっちもどっち」が現れるから。
(もう完全にブームは終わったが)『嫌韓流』が成功したのは、「日本をDisる感情的な韓国人」vs「頭脳明晰で品性もある日本人」という対立構造を用いたからだと思う。
『嫌韓流2』『嫌韓流3』『嫌中国流』とシリーズを重ねるごとに騒がれなくなってしまうのは、描かれた韓国人・中国人の醜さが、山野車輪を代表とする特定日本人の精神の醜さが投影されたものであることが判明していったため。要するに自滅。
とにかく、「そこに論争がある」、「それは議論に値するトピックである」あるいは「どうでもいいトピックで議論している暇な人たち」と思わせるだけで、有利になる立ち位置も存在するので、議論のマナーには注意したいところ。
こういうふうに対立が泥沼化した場合は、第三者が仲介して幕引きをはかるのが有効と考えられる(が、第三者を装って党派的行動をとる人も多いので、結局は難しい)。