2008-07-18

ドリームガールスなPerfume(吊りボリ)

予備校時代に仲のよかった女の子が、早稲田のミュージカル研究会に所属してたもんだから、わりと学生時代はその子の舞台を見に行ったりしてたんだけど、ストレートプレイの合間に歌が入るって感じで、あまりミュージカルである必然性みたいのを感じなかった。

歌が入ってくると見てるこっちが妙に照れちゃったり。

一方、その子と行った慶応のミュージカルサークル「STEPS」は当時天才的な脚本・演出家清水圭(学生ね)のもとで、とても素人とは思えない舞台を展開していたけど、早稲田と同じような傾向にあったと思う。

ドリームガールズや他のアメリカのミュージカルを見てて思うのは、ほぼ歌いっぱなし。

うたの間にストレートプレイがはさまる感じで、しかもその接合がきわめてなめらかだから「あぁ、これがミュージカルね」と妙に感心したりする。

このドリームガールズの歌とダンスのパフォーマンスも圧倒的で、この分野で日本は絶対かてねーなと思った。

特に、あの太った子の声量とか日本人はなかなか出せないと思うよ。

なんつーかエンターテイメント文化の深さとかが全然違うって感じ。

お話は、お唄のうまい田舎の3人娘が上昇志向の強いプロモーターと一緒にてっぺんをめざし、チャートを駆け上がるものの、いろいろあってちょっとおわかれになっちゃいましたという、実際のアメリカのレコードレーベルの歴史を下敷きにしたもの。

で、作中にプロモーターがセールスを追うばかり、仲間から「お前の作ろうとする音楽にはソウルが欠けてきた」と批判されるシーンがあった。

こりらっくまはセールスをおうことがソウルを欠落させることだとか思わない。

一時期の小室哲哉の楽曲郡は、「売れたい」というドス黒い欲望にあふれたある意味「ソウルのこもった」名曲だと思うし、「ラブ・マシーン」あたりのモーニング娘。はつんくの「ロリっ娘に俺の大好きなディスコミュージックを躍らせたい」という肉欲にあふれていて強烈な「ソウル」を放っていたと思う。

(特に「ラブ・マシーン」傑作。聞いていて多幸感とせつなさという相反する感情で胸が締め付けられるのは、異常にアゲアゲなテンションが結局はただの空元気だからだと思う。そこにあの曲は自覚的だ)

結局どこかの音楽評論家がいってたけど、「売れているものでも『わるいもの』はあるけど」「いいものは結局『売れる』」のであって「いいものなのに『売れない』」というのは惨めなエクスキューズでしかない。

本当にいいものは「出すぎた杭は打たれない」じゃないけど、結局出てきて「売れる」のだと思う。

この映画を見ていて、恐ろしく長い下積み期間を耐え、テクノアーティストとして史上初のオリコン1位を制したPerfumeを思い出し、そんなことを考えた。

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