増田を読んで、小さい頃の記憶が蘇ってきた。
私が小学校5年生の時だから、もう20年近く前の出来事。
当時、山を切り開いて作ったニュータウンに住んでいた私は、週に3回学習塾に通っていた。
塾はJRの駅前にあるので、8時~9時頃に終了した後はバスに乗ってニュータウンの側まで帰ってきていた。バス停はニュータウンから少し離れた道路際にあり、その時間になるとほとんど利用者はいなかった。さらに、バス停からニュータウンまでは暗い山際の道を通り、子供の足で30分ほどかかる場所だった。今にして思えば、なんでそんな場所にしかバス停がなかったのか不思議でならない。
当時は携帯電話なんてなかったので、あらかじめ駅から電話をし、何時頃にバスに乗るかを母親に伝え、バス停まで車で迎えに来てもらうのが常だったが、バスの時間のズレに加え、母親はピアノの教師をしているため、いつもぴったりな時間に迎えに来てくれることはなかった。
大抵、暗い、誰も居ないバス停で5分~20分ほど待っていなければならなかった。
その日も、バス停で降りたのは私1人。
ベンチに腰掛けてポツンと待っていると、車が近づいてきた。
中には、大人のお兄さん(子供にとっては年齢なんかよくわからないのでみんなお兄さんである)が1人乗っていて、しきりに話しかけてきた。
「こんなところで何しているの」→「お母さんを待っているんです」
「1人でこんなところにいると危ないからお兄さんが送ってあげるよ」→「お母さんが車で来るのでいいです」
「でもさっきから10分くらい1人でいるじゃない」→「でも、お母さんが来るので」
「お母さんには僕が説明してあげるよ」→「でも……」
怪しいお兄さんだとは思っていたので、私はずっと拒否していた。そして母親が早く来てくれるよう祈っていた。しかし、その日にかぎって20分ほどたっても母親は来ないのだ。その間、お兄さんは私にしきりに話しかけ、やわらかい物腰で、危ないから家まで送っていくよとしきりに繰り返すのである。
そして、とうとう私は助手席に乗せられてしまったのである。
かなり固辞したのだけは記憶にあるが、正直、なぜ車に乗ってしまったのか、呆れる人もいるだろうと思う。
もちろん、怪しい人の車に乗ってはいけない、ついていってはいけないという知識は与えられていたのだが、それ以上に「大人のお兄さん」というのは当時小学生の子供にとって、逆らえない存在だったのだと思う。
10分ほど説得され、お兄さんが降りてきて助手席の扉を開け、促されると逆らえなかったのだ。
大人が考えるよりも、もっと「小学生の自分」は「おろか」だったのだ。
案の定、お兄さんの車はいきなり道をそれた。
ニュータウンではなく、山の中に向かう道の方へ。この道は山の向こうの町へ続いているのか、トラックや車がビュンビュンと通り過ぎるだけの、一切人気のない道である。
「ちょっとドライブしていこう」とお兄さんは言う。
「お母さんには僕が説明してあげるから」と言う。
お兄さんはしきりに話しかけてくる。私は不安感でいっぱいでほとんど話せない。
そのうちお兄さんの質問はどんどん変な方向へ向かう。
「何年生?」「生理はもうはじまったの?」「学校でブルマははいているの?」「今は?」
それらの質問に半泣きで答えていたが(答えてしまうのだ……子供は)、やがて私はとうとう意を決して、「戻ってください!」と言った。
その語調の強さのおかげか、お兄さんは「わかったわかった」といってニュータウンに戻る方向へ車を反転させてくれた。
しかし、安心するのは早かった。
左手に、白い壁の大きな倉庫のようなものが見えてきた。お兄さんは倉庫の場所も覚えていたのだと思う。いきなり道をはずれ、その倉庫の側に車を寄せていった。車の動きからして、おそらく助手席側の扉をその倉庫の壁にぴたりと隣接させることで、助手席の扉が開かないようにしようとしたのだと思う。
そのことをとっさに悟った私は、もうこれしかない、という行動に出た。
スピードが緩んだ時を狙って、助手席の扉を開けて飛び降りたのである。
チャイルドロックがかけられていなくて本当によかったと思う。ちゃんと飛び降りることができた。
あとは必死でそこから走って逃げた。
トラックが時折走っているだけで真っ暗な山の中の道を、泣きながらひたすら走った。
後ろから車が来るたびに、あのお兄さんじゃないか、車ではねられるんじゃないかとビクビクしながら、バス停にも戻らず、ニュータウンの中の自分の家まで必死で走った。
扉を開けて家の中に飛び込んだら、母親がピアノを弾いていた。
私が母親の部屋の扉を開けた瞬間に、怒鳴り声が飛んできた。
「あんた何やってたの! 迎えに行ったのにいなかったじゃない!」
無駄足を踏まされた母はプリプリと怒っていた。
そして母親のストレス解消法でもあるピアノを弾いていた。
ピアノを弾いている母親は邪魔すると不機嫌になる。
ちなみに父親は単身赴任をしているため家にはいなかった。
私は何も言えずに、洗面所に行って泣きはらした顔と手と足を洗って部屋に戻った。
ちなみに、塾のテキストの入った鞄はきちんと抱えていて一切なくしたものはなく、両足の膝が擦り剥けていた以外は何もなかった。
それ以降この話は誰にもしなかった。
両親も、兄弟も、友達も、私のこの日の出来事は知らない。
ほとんど記憶の彼方のことで忘れていたんだけど、思い出してしまった。
思っているより、「誰にも言えない」性犯罪もしくは性犯罪未遂って多いのかもしれない。
自分のおろかさ、子供のおろかさを再認識するために記しておく。
ここまで怖い思いをしたことは無い。 私は電車内の痴漢くらいしか経験していない。 でも読んでいるだけで胸を毟られるような恐怖を覚えた。 今でも心拍数が上がっている気がする。 ...