2008-06-25

23年目にして出会う闇

小学校中学校高校大学

周りには多くの迷える若者がいた。色々な意見に翻弄され、自分を見失い、自分を信じることが出来ず、迷い、惑い、時には流されていた。

彼らを見て、いやそうじゃないだろう、お前はお前だろう。人生は一度しかない。何が出来るか分からないが、出来るところまでやってみようよ。そう思っていたし、言ったこともある。

野球少年親友が居た。高校受験の時、志望校野球推薦で入るか悩んでいた。当時の状況や仕組みをよく理解していないのだが、彼は野球推薦で受かっていた。しかし、高校以後も野球を本格的にやるか悩んでいた。

彼の実力というものを俺は知らない。分からない。ただ、地方の一中学野球部に所属している野球少年プロ野球選手になる、っていうのは実はあまりなさそうだな、とは内心思っていた。

と同時になぜ彼が悩んでいるのかも分からなかった。なぜ野球少年野球を止めようなんて言ってるのか分からなかった。やれよ。やるだけやれよ。そう言っていた、俺は。

姉は就職活動先を悩んでいた。やりたいことがない、そんな感じだった。なんだそれ。じゃあ何で高偏差値経済学部入ったんだよ。何をしに行こうと思ったんだよ。夢がないってなんだよ。

ずっとそんな感じだった。俺は些細なことでは良く悩んでいたかもしれないが、人生に悩んだことがなかった。自分がどうなるかなんて分からないことは理解していたが、一方で分かるような気がしていた。

それくらい自分には"確かな何か"があった。信じるべき自分とでも言うべき何かがあった。それは人生の軸でも、道しるべでも、目標とするゴールでもあった。っぽい。

だから俺は迷わなかった。色々うろうろ道草食ったりもしたけど、迷ってはいなかった。だから他人の迷いを理解は示せても、理解はしていなかった。

俺は進んできた。恐ろしいまでの自信を片手に。童貞だろうと彼女居ない暦=年齢だろうとファッションに興味がなかろうと、パスタをどうしてもスパゲッティと言ってしまっても問題ない。そんなことで揺らぐような俺はなく、結構本気でそんなことはどうでも良いことだと思っていた。

俺は進んできた。ただただ進んで、大学院まで進んでいた。自分が変わったことにも気づかずに。いや変わったのではないだろう。相変わらず好きなものは好きで、やばいくらい好きで。

俺は進んでいた。気づいたら俺の"確かな何か"よりも先に進んでいた。気づいたら目標は俺の横にあり、そして通り過ぎていた。自分より後ろにある目標というのが何と色褪せて見えることか。

俺の"確かな何か"は目標の地位から転げ落ち、夢の地位から霧散していた。

俺の目の前に初めて、物心付いてから初めて、未開拓の世界が広がった。そこは真っ暗で多孔質で、不気味さが粘りつくように染み込んでいるようだった。同時にそのスポンジのような闇には希望みたいな甘さが幾らでも含まれている気がした。いや、そう教わったような気がする。でもそこに飛び込もうにも、俺の短い人生で俺に絡みついた"確かな何か"の副産物は想像以上に重かった。もう何書いてるんだか分からないな。

人生に迷っていた彼らに会いたい。話したい。闇に飛び込んで、それでも今でもちゃんと生きている彼らに。俺には彼らが闇の海を割ったモーゼに思えてならない。

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