2008-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20080609193603

難しいね。

ミもフタもない言い方をすると、ああいう事件が起こった後は

『あんな酷いことをする犯人を私は許せない!』というのと同時に、しかし犯人自身に裁きを加える事は市井の人間には出来ないから、

せめて『あんな惨い事件が起きてるのにふざけてる奴が居るなら、片っ端から裁きたい。(っていうか居ろ、誰か裁かないと私の気がすまない)』

って感情が生まれるんだと思う、私たちは。あると言いたくないけど、でも絶対そういうのがあるのは否めない気がする。

 

例えばブログmixi日記でこの事件に対して不誠実なコメントを寄せている子や、煽るような書き込みをしている奴は片っ端からスクラムを受けている。

被害者の気持ちを何だと思ってるんだ」「この人でなし!」「酷い方ですね。あなたが死ねば良かったのに」

ここで発露する『許せない』の攻撃性と、犯人秋葉原で暴発させた攻撃性は実はそんなに変わりのないものだと思う。

しかし『許せない』の攻撃性は強い。同じ攻撃性でも何となく「正しい」ような錦の御旗がついているような感じがするから。

 

そしてみんなで『許せない』で誰かをボコボコにしながら僕らは言うわけですよ。

「なんて酷い奴だ!こんな奴、同じ人間とは思えない」

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