2008-06-05

ネットが引き金となった事件や問題について思うこと

ネットが引き金となった事件や問題について、現状は、プロバイダーやサービス業者は手を付けられない(介入しない)ことが、当たり前の前提ぽくなっているが、被害まで出ているのに、ほぼ知らん振り同然というのはいかがなものだろうか。武器になってしまうものを作っておいてそれをなんに使うか知ったこっちゃないとでも言いたいのでしょうか。

私が思うに、表現の自由といえど、あからさまに人を苦しめるようなコメントは自由とはいえないのではないか。すぐにどれかを削除しなければいけないといっているのではないです。

対策を打つことが大事なのである。少しでもそういうことがなくなる仕組みを提案して作り上げていく事が大事です。例えば、その人が望めば、フィルターをかけられるとか、逆に、本人の同意がなければ表示しない、不快さを与えそうなキーワードプロバイダーによるチェックでOKが出ないと掲載されないなど。

そういうことを言うと、表現の自由うんたらかんたらと、揚げ足を取る方もがいます。ならば仮に、もしそれが表現の自由だ、と言うのならば、この近年におきているネットが引き金となった事件や問題というのは、むしろ良いことで、極めて自然なのかな?

そうではないだろう。自由とは制限があって、その裏返しとしての自由なのだ。規制がある業界には表現がなりたっていないのだろうか?いやそんなことはないのだ。規制があっても表現はできるからだ。

あからさまに不快にさせるキーワードや表現というものは存在する。もちろん、それを防いでもそれをかいくぐるキーワードは出てくる。だが、そこまでいけば分からない人には一見何を言っているのか分からないような内容にはなる。水準にまでは持っていける。

それすらも出来ないのであれば、最終的にはインターネット自体R20指定にでもして、未成年者には使わせなければいいかもしれません。

でもその前にやれるべきことはあるはずです。私たち自身にもこれを見ているみなさんも。

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