自分はもう若者の先頭ではない、ということ。
そう思うようになった原因としては、新しいマジョリティの存在が大きい。
すなわち20歳前後の若者による新しい世代の台頭を感じるのだ。
28歳ぐらいの時は別段なにも感じなかったけれど、30歳になった今はハッキリと彼らの存在が確認できる。
それはきっと彼らと「同世代」では無くなってしまったからこそ感じる感覚なのだろう、と思う。
おおよそ5歳前後の差は「同世代」というくくりにしても差支えがないように思える。
僕がいま30歳なのだけれど35歳の人たちと話してても特に違和感は無いし、25歳の後輩と話していても同様。
もちろん、多少の年齢差は感じるけど5歳差だったら小学校の時にかぶってるしね。同世代って印象が強い。
ところが10年離れてしまうと「別の文化を持った別の世代」という感覚が強くなる。
小学校の頃から携帯を使っていたなんて話や初めて遊んだゲーム機はプレステ2(2000年3月発売)だなんて聞くと
なるほど、違う時間軸の元ですごした世代なんだなぁ、と感じる。
そんな彼らが成人を迎え、発言力を増し、存在感を増してきた段階で
「あぁ、新しいマジョリティが出現したのだな」(そして自分はもう若者の先頭ではなくなったのだな…)という事に気づかされた。
世代が違う感覚は10歳年上の人たちについても持ちうる感覚だと思うけれど、年上の人たちについては
ずっと背中を見続けて来たので思考や行動パターンなどなどが理解できる。
高度経済成長時代にたたき上げた団塊の世代や、バブル世代を謳歌した1つ上の世代の感覚なんかは
100%は理解できなくても、だいたいは理解できる。
ところが、下の世代については正直なところ良く分からない。
接点が無いというのが一番大きな理由ではあるけれど、彼らの行動パターンは読めず、また目指す価値感の違いも感じる。
マラソンで例えるなら、同世代の人間たちと共にゴールに向かって走り続けていたら
突然、後方に新しい集団が出現して、別の方向に向かって走り始めたような印象だ。
もっとも、これは考えて見れば当たり前なのかもしれない。
80歳まで生きると仮定すれば、僕のゴールは50年後の2058年だけれども、彼らのゴールは60年後の2068年だからだ。
思えば僕も、前の集団を見つめながら走ってきたけれど決して同じゴールを目指しているわけではなかった。
親父たちの世代の頃のような終身雇用に懐疑的だった僕は自分で会社を作る道を選択をし、自分なりのゴールを設定して生きている。
20代のときは、同じ世代のことしか意識してなかったから、みんなが同じ方向を向いているような感覚があったのだけれど
30歳になり新しい世代の存在を認識したその時、違うレースの存在が実感として強く理解できた。
同時に、人生においては個人個人で全く別のレースが展開されているんだな。ということにも気がついた。
だから人は孤独なんだな、と思う(そしてたまに同じ方向を向いた同志と出会えると、とてもとても嬉しい)
まだまだ続く長いレース。
目指す方向は違うかもしれないけれど、願わくば、新しいレースに挑戦している若い人たちにとって
自分の背中が手本(とまで行かなくても何か参考)になるようなそんな生き方ができたら、と思う。
まとまらないけれど、30歳になって気づいたこと。そして想ったこと。
http://anond.hatelabo.jp/20080520051736 >高度経済成長時代にたたき上げた団塊の世代や、バブル世代を謳歌した1つ上の世代の感覚なんかは >100%は理解できなくても、だいたいは理解できる...
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その程度でいいやと思えるようになれるって意味では若いころ遊んでおく方がいいのかもね。
ああ俺も、15歳の時にゲンチャ/17歳でYAMAHAのMATE(カブ風2スト)/18歳でRZ250R/20歳でTZR250/24歳でYZF-R1と乗ってきて本当によかったとおもうよ。 46とか過ぎてハーレー買ってテレビのニュースで...