彼女に対する僕の印象は「黒子のような人」だ。彼女はいつだって黒のセーターを着て、長い黒のスカートを履いていたからだ。
「喪服なの?」と聞いたことがあったけど、彼女は笑いながら「汚れが目立たないからよ」と言っていた。彼女にはそういう風にさしたる意味を持たない要素によって生活を決めていく性質があった。
いや、彼女にとって、それらは人生を決める重要な意味を持つのかもしれない。例えば、信号で青が表示されていると彼女は必ず走り出した。レジで金額を払う時には必ず一円単位で代金を支払った。
しかし、彼女から見ればそれがとても重要な意味を持つことで、僕が思い描くような生活様式は世間体だけのもので、それこそが大した価値を持たないことなのだろう。
僕と彼女の間にはとても深い溝があった。溝というか岸壁に浮き出る模様のように、層が違うと言った方が正確かもしれない。
僕には彼女のことが決して理解出来ないだろうし、彼女には決して僕のことは理解出来ないだろう。しかし、それはそれでよかった。そのポイントについては二人の意見は一致した。
物事に完全なんてものはありえない。0%の不理解も100%の理解も出来ないのだ。それなら、その間にあるという意味では、理解がどの程度であろうと結局は大した違いにはなりえない。
だから、僕らは互いに互いの理解を完全に放棄した。作るのはパターンの方程式くらいのものだ。それはつまり、入力と出力の記憶である。チーズケーキという入力には喜びの出力、辛口カレーには苦痛の出力。
野球ボールの中身は調べられないけれど、外側の形は触れば分かる。そういうことだ。無理をして中身をばらけてしまえば、もうそれは修復が不可能だ。