2008-04-22

死にたい。』

たいていそれは、死ねば苦しみから逃れられる=楽になるという考えからくる。

でも本当にそうだろうか。

ここでは、「死んだら意識がなくなる。自分自身というものが消滅する。」というような考え方を前提とする。

(死後の世界信仰している人たちのことはおいておく)

「自分自身が消滅する」

   ↓

楽しいこと、悲しいこと、見えること、聞こえること、すべての感情、感覚、思考がなくなってしまう」

   ↓

「苦しみがなくなって楽になる」

というような想定がなされているんじゃないだろうか。

でも、すべてなくなってしまったら、それは「楽」ではありえない。

感情・感覚があってこそ「楽」ということがありえるわけで、

それがなければ「楽」も「苦」も存在しない。

そもそも人間は感情・感覚が全くないということを想定できないんじゃないだろうか。

「感情・感覚がない」ということを感覚的にとらえる、

つまり死のイメージを持つことしかできない。

死ぬとは本当はどういうことかなんて理解しようもない。

「死」とはとらえどころがないにも関わらず、当然のように語られる不思議なものだ。

それでも、死をイメージして欲するのはごく自然なことだ。

そもそも人間が欲望するものというのは、何らかのイメージにすぎないのだから。

  • 寝て起きるまでに、記憶がない時間があると思う。 それが永遠に続くイメージ、と思ってる。 ただ違うのは、死んだら主観的な世界が無くなるだろう事。 そして、その状態が永遠に続...

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