上野アメ横の入り口で托鉢僧を見かけた。
数十分後、同じ場所に戻ってくると、托鉢僧が居ない。
近くを探したら、ガードレールに寄りかかって、競馬新聞を読んでいた。
・・・修行の身なのに何事か。煩悩の塊じゃないか。
托鉢出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』托鉢(たくはつ、Skt : pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。
托鉢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
托鉢(たくはつ、Skt : pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。
Permalink | 記事への反応(3) | 04:56
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いや、街頭で目にする托鉢僧のほとんどは「ものごい」だというのは 一般的常識だと思うのだが。 育ちがいいと知らないのかな。
浄財がJRAに流れていくかと思うと釈然としないな。
金が托鉢僧のものになる、という考えがよくない。 我を捨てなさい。 托鉢をすることが尊いのではない。 「施す」という行を行なった者が尊いのです。