殴られた人に「殴りかけるような危ない奴の近くにいたほうも悪い」とか
言う人がいるが、そういう人というのは「理不尽」というものが非常に恐ろしいのではないか?
理不尽に恐ろしい犯罪が起きたという事を認めるのが怖く、受け止めきれず「被害者に落ち度があった」ことにしてしまう。
そうすることによって「理不尽な犯罪」ではなくなる。その人にとっては「被害者にも落ち度があった、起るべくして起きた犯罪なのだ」となり、安心する事ができる。同時に自分ないしは自分の周辺の人は、そんな落ち度はないから大丈夫だ、と安心することもできる。もし本当に被害者に何の落ち度も無い、理不尽きわまりない犯罪だとすると、落ち度のない自分や自分の周辺の人ももしかしたらそんな恐ろしい犯罪に遭うかもしれないということを認めなければならない。それが怖いのではないのか?それで無意識に落ち度があったように言って自分の心中で何とかバランスをとっているのではないだろうか?
リスク管理ができていないってのは世の中で生きていくのにとても不利なんだよ。 痛い目に遭う確率が高くなるってこと。 その程度のことなんだけど、どうして理解できないのかなあ
リスク管理ってなに?
知らない米兵についていくことによってどんなことが起こり得るかを考えることだよ
「不利」だとか「確率が高くなる」ということは「落ち度がある」「悪い」とはまた全然別の話だから、君は僕の言及した人には入らないよ。
この人と http://anond.hatelabo.jp/20080301224304 に同じ臭いを感じる。
こいつらは理解できないんじゃなくて、理解したくないんだよ。 だから何を言ったところで無駄。
なるほど。 それは実際にどう対処すればいいかグッドアイデアが思い浮かばないので、そもそもそのリスク回避という考え方を拒否するってことなのかな?
http://anond.hatelabo.jp/20080302010343 「よい」とか「悪い」じゃなくて「そうしたら良かったのに(残念)」じゃないの? 「もう少し考えれば良かったのに」 「そう考えれば非道いことにはあ...