普段誰かと会話するときには目を見て話すよう心がけている。瞳を見つめることによって相手は私の想いから意識を逸らし難くなるし、私は相手の生体反応の表出というコミュニケーションにおいて最も重要な情報を効率的に採取することができるから、と説明することもできるのかもしれないが、ただ単に今まで生きてきた経験上、そうすることによっていろいろとうまくいくことを知っているから、という単純で利己的な判断に基づいた習慣とも言える。いずれにせよ、相手の目を見つめて話をすることが多い。これが原則だ。
しかしもちろん例外はある。希に目を合わせてお話しできないときがある。ある、というか、昨日あった。瞳が眩しすぎた。
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