「70歳までに描いたものは、とるに足らぬものである。73歳でやっと生き物の骨格や草木の生まれを知った。80歳になればますます腕は上達し、90歳で奥義を極め、100歳で神技といわれるであろう」
75歳の時。この言葉を跋文にした富嶽百景において改めた画号が、「画狂老人卍」。
また「百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん」とも。点を一つうつだけで、線を一本ひくだけで、それがまるで生きているかのようになる。そういう領域。そういう領域が彼の到達点のモデルだった。
90歳の時、「後10年でも、いや後5年でも生きることができれば、本当の絵というものを描いてみせるのに」そのような事を言って彼は、死んだ。