■男の代弁/女の代弁
http://anond.hatelabo.jp/20080112105932
ちょっと、リンク先多過ぎw
でも読んでみた。面白かった。感想をいくつか。
- 結局、この人は男の代弁をする女というのを「チヤホヤされたいから」という文脈でしか理解出来なかったんだろう。「チヤホヤされたい女」を前提に「代弁するとモテモテ」を考えたんだと言ってるが、思考が逆なのは読んでみれば明らかだ。
- なんでそういう理解になるかと考えると、なんで女が男性の立場で男性の思考に沿って立って発言するか、何故そんなことをするのか、動機と必要性が分からないからじゃないかな。女が社会人としてある程度成功して生きていくには色んな方面に寄り添うことを求められるから、常に誰かの頭の中をシミュレートなんて、息をするようにしているもんなんだよね。ただの生きていく上の処世術なんだけど、男性同士だとそういう必要性が低いから実感出来ないんだろう。
- 女の考えを代弁する男性がウケないと言うけれど、それは代弁出来てないからだよ。女が男性の代弁をするときは一回女を捨てて男性の立場になりきって、これを言ったら女からは反発されるし女にとっての真実ではない(でも男にとっては真実以上に真実らしく聞こえるだろう)と思うことも戦略上あえて言い切るけど、男性が代弁する場合は男性にも通じる範囲でしか言ってないと思う。男性仲間から、あいつは的外れなことを言ってると思われても女に寄り添うなんて、プライドがあるから出来ない。結果、男目線から見た歩み寄り、単純な女性優遇論程度を、女の代弁と呼んでるケースが多いと思う。全く代弁になってない。
- 他に女の方が他人の代弁に長けていく理由として、圧倒的な機会の差がある。いわゆる女の子としての教育や社会の中の役割として寄り添う立場が要求されているし、メディアの情報はたとえ女性向けとされていても男性が作っているから巧妙に男性の目線が入っていて、女としてはそこで男性目線を意識せざるを得ないが、男性にとってはそれが当たり前なので意識しないというようなことの積み重ねだ。
- 女は全部こうだっていう話じゃなくて、女の中に、例の本の著者のような巧妙な代弁者が出てくるのは何故かって話。
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