俺はいつも真実を知りたいと思っている。
もっと積極的に言って、真実を追究するべきだという考えさえある。
そして、二者択一思考になりがちだ。
幸せはとぎれながらも続くという、人生のベースは幸福であると判断がある。
また他方では、人生は悲しみであると判断することもできる。
俺は、このどちらか一方を採択しようとしていたのだ。
でも、当たり前だが、楽しいことも悲しいこともどちらもあってそれが人生なのだ。
どちらか一方だけが「真実」というわけではない。
しかし何だろう、幸せだなあと感じている当にそのさなかに、ふと人生の悲哀を感じてしまうときがある。
けれども、一度そう判断してしまうと、不幸だけが見える色眼鏡を自分の目に掛けてしまうことにもなる。そうすると元々の不幸はより悪く見え、さらにはありもしないところに不幸を見いだしてしまうことにもなってしまう。
上記の理由により、一面的に「人生の基本は不幸だ」と断定してしまうことは避けたい。なぜって、こんな俺だってできれば幸せな方が良いからだ。
願望としては、幸せになりたい。
でも感覚的にいって人生を幸せベースだとは素直に言えない。ためらってしまう。
恐れはもう一つある。もしも自分が根っこからポジティブになったら、幸せにつかりきって埋没して、幸せという色眼鏡で視野狭窄になってしまうのではないかということだ。
おれは、そのとき周りにいる現在の俺のようなネガティブな考えの人間を、知らない間に抑圧してしまうことがないだろうか。
それが心配だ。
抑圧というなら、今このときだって知らないうちに誰かに圧力を掛けているのだ。だから、気にすることなどできないし、気にすることもないと言う風にも考えられる。だって「知らない間に」、なんだから。
俺は頭でっかちか。そうだとするなら、どうしたら解放されるのだ。
自由に伸びやかに生きていきたいよ。