2007-12-28

冬コミ前日に思い返した、米やん葬儀の日。

うん、文章がクソ長い上に乱雑なのは分かってる。それを承知で。

米やんが突然代表の椅子を返上したと聞いて、その時から悪い予感はしてた。

その予感は翌日に当たった。

米やんを間近で「見る」機会は通称24耐と呼ばれたコミケットSPに続いて2度目。それが葬式だとは

最初に24耐で壇上の米やんを見てる時には思いもしなかった。

自分の知ってる米やんは遠くの存在で、また大きな存在だった。

クローゼットからスーツを取り出し、東京に向かった葬儀の日。空はとても晴れていた。

葬儀の式場に使われた寺に続く坂には既に大勢の人がいた。

ただ、そこには所謂「葬式の雰囲気」というものはあまり感じはしなかった。良くも悪くも「ゆるいイベントの雰囲気」であったと思う。

それが悪いとは言わない。米やんだからこそ出来た空気であると思ってる。ただ壇上だけはやはり粛々とした空気が漂ってたが。

献花の台の隅にあった島本和彦からの花が印象的だった。

出棺の時。

坂をゆっくり進む霊柩車

霊柩車が進むのにあわせて両脇の沿道からの拍手

「代表お疲れ様でした!」「ありがとうございました!」の無数の声。

とてもではないが、葬式の雰囲気ではなかった。まるで野球選手の引退パレードだ。

これから悠々自適に暮らす人へのねぎらいのメッセージを送るかの様な風景だった。

それが米やんの人柄だったんだろうと、そう思う。でなきゃ2000人もの参列者が揃ってあんなことできるか。

米やんのいない12月がまた来た。

コミケにかかわる様になって十数年。それでもまだまだ若輩者だろう。

だが開場前に数時間待機列に並んで待ってるような事もほとんどやらなくなった。

サークル参加もしなくなった。売り子もしなくなった。

12時前くらいになってゆっくり入場するようになった。

数えられるお目当てのサークルに行き、いろんなサークルを流し見て、

コスプレ広場に行って人の多さに諦めてUターンして。

オタクとしてはヘタれた部類になったなあ、と思う。

でも、こういう場を作ってくれた米やんには感謝しきれない。勿論米やんだけの功績でない事も重々承知だが。

だから、葬儀の時も言ったけど、1年2ヶ月経った今も改めて言おうと思う。ありがとうと。

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