泣きゲーの始祖とも言えるエロゲメーカーKEYの新作、リトルバスターズ!をプレイした。
正直に言うと、泣けた。
でも、相変わらずの知恵遅れぶりを見せ付けてくるキャラクターと、あざと過ぎる言い回し。
シナリオを反芻してみても、腑に落ちない点が多々ある。
それでも泣けたって事は、やっぱり「泣き」ってものは衝動的で、そこを刺激されただけに過ぎず、
泣けたという事実は別の評価軸にあるんだと思う。
何てことを考え続けるのは、泣けたという事実を持って正当に評価したくないと言う歪みがそうさせてるのかな。
どうしたって平凡なオタクなのに、平凡なオタクを否定したがってるのか。
Permalink | 記事への反応(2) | 14:29
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泣きゲーもケータイ小説も骨子は大衆性の強いものだけど、 残りの構成要素がそれぞれのセクトで受け入れられるものであっただけの様に思える。 結局の所、マイナー・メジャーであ...