2007-12-01

人格者まとめ再掲

定義には優劣がないとすると

社会をよくするという発想はないことになる。

しかしそういう発想は確実に存在する。

ゆえに前提がおかしく定義には優劣がある。

優れた定義とは何か。

人格者のいう定義である。

では人格者とは何か。

道徳的な人格者の議論をする人がいるが、

定義は社会に共有されるものなので

人格者道徳人格者と一致する必要はない。

定義を生む人格者は、社会的な人格者であればよく

プロセスを経て生まれた資格者である。

資格を与えることで反証可能性が生まれ

「俺が人格者だ」「いや俺だ」という

神学論争が消える。

そもそも神学論争を消さなければ社会

前進しないのでこれは必須である。

ではプロセスとはいかにあるべきか。そもそも

プロセスは単線的に決まるのではなく、

社会の中で生成される

これは言語文法が最初からあったわけではないのと

同じだ

言語文法は言語的発展の中で結晶

プロセスもまた同じである

すなわち言語社会はそれ自体を乗り越えて

発展させようという性質があり

それがプロセスを発生させる

プロセスが完成した後は、プロセスによって

生まれた人格者の判断の積み重ねにより

発展する

つまり社会の試行錯誤で一応のプロセスが出来、

それが約束となり、プロセスから人格者が生成され

人格者がそのプロセスに手を加えて改良し

よりよい人格者を生成するプロセスを作る

そして他方で人格者は判断を積み重ねることで

よりよい定義を生み出し、悪い定義は消し、

そうやって定義が発展していく

日本ドイツに範をとっていた頃は

そのシステムがあったが

アメリカに鞍替えして

もとあったシステムアメリカシステム

接合させたのでガタガタになった

よい定義を追及するのを捨てたわけだ

定義群をメタ的に捨てた

アメリカというのはよりよい定義の発生しない国だが

そのアメリカ文化をどうにかくっつけようとして

すっころんだわけだ

いま日本が狂ってるのはこのせい

消化不良と言うか要はごっちゃにしたので

糖質になっている

政治は統一的でないと国内が混乱する

そこで政治を統一する必要がある

そこで生きてくるのがこの議論

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