そいつらが苛めを止められたかもしれないからって理屈なんだよね?
「止められたかもしれないのに止めなかったのが悪い」と。
これって苛められてる奴が「何かしら手段を講じれば自衛出来たかも知れないのに苛められ続けてるのが悪い」
って言うのとどこが違うんだ?苛められてる奴は恐怖に苛まれてるから仕方ないってことなのか?
それなら傍観者だって恐怖はあるだろうよ。その「程度の差」を持って傍観者は悪い!ってことにしちゃうのか?
俺が言いたいのは苛められてる奴が悪いなんて話じゃないからな。傍観者を悪いってことにするのは危険だって話だからな。
苛めなんてもんはもう100パーセント苛めた奴が悪いんだよ。
>はてブ
傍観者は、いじめにおいては加害者側に分類されることが多い。いじめられている人にしてみれば、傍観者はいじめている人と同じに映るだろう。つまり、追い込む要因となる。止めなかったから悪い、のではないと思う。
それは苛める側が苛めることによって被害者にそういう意識を発生させてしまうことの問題であってそこにただ存在している人それ自体の問題ではないだろう。
「存在しているだけじゃなく何か出来ることがあるんじゃないの?」って話になると一番上の文章に戻るよ。
「苛めた人」の中に100%の悪がある、って説明は、単純すぎて現実に即さないとオレは思う。 たとえば、「最終的ないじめの実行者」の背後に、「それを強制した人(黒幕)」がいると...
(煽りの入った)傍観者とか黒幕とかね、そういう話を持ち出したらそりゃ責任は分散してくさ。 あくまで概念の話だよ、被害者加害者傍観者ってのは。その概念をどのように割り振るかっ...