太宰治やドストエフスキーが面白い小説を書けるのは、誰もがチラと頭に思い浮かべるような、複雑で鬱蒼とした言葉にしにくい/ボキャブラリーがないために表現出来ない感情を読み手に代わって事細かく書き、そして読み手に対して高度で微妙な同情を与える事が出来るため。
だから何か面白い表現方法を模索しているなら、そうした些細なものも見逃さない素朴な物事を見つめる目線と、それを表現するにはどうすれば良いかを考える思考訓練が必要。
Permalink | 記事への反応(0) | 11:57
ツイートシェア