キリスト教圏で「菜食主義者」たろうとすることは、『ただ宗教がよしとすることでなく、自分の理性で判断できることに従おう』という意思表示でもある。神が食べて良いとしたものの一部をあえて「食べてはいけない」と考えることはなかなかに意志的な振る舞いではある。それは一つの政治だ。
仏教圏で「菜食主義者」たろうとすることは、『生き物の命に差があるかないか、あらためて考えてみよう』という思索をめぐらすという意思表示でもある。原点に戻って考えてみようというのは仏教が我々に教えてくれる偉大な知恵であり、悟りに至る道を歩くことは学問でもある。それは一つの哲学だ。
豚を食ってはいけないのはイスラム、ユダヤなんかだが、これは寄生虫を避けるためであったと言われる。牛を食ってはいけないのはヒンドゥー教で、牛を聖なる生き物とあがめるが、これは牛が農耕に必須の大切な生き物であったためとも言われている。いずれもきわめてプラグマティックな理由で、これは一つの科学だ。
相手をきちんと理解しようとする努力を放棄して、いきなり「もっともらしい理屈があるのかもしれないけど、感情的なものからスタートしているとしか考えられない。」などと決めつけるのは、相手に対して自分の価値観を押しつける行為と大差なくないか。
どこかのベジタリアンがあなたに菜食主義を強制しようとしているのか。全ベジタリアンがそうだと、いつどこから判断したのか。それなしに「ベジタリアン『なんて』宗教だ」などという物言いをしているのなら、あなたが警戒し避けるべきだとしている誤りそのものをあなたは冒しているのではないのか。
仏教だっけ?なんで四本足がダメで二本足がOKなのか意味が分からん。 牛がダメだとか豚がダメだとかも。 もっともらしい理屈があるのかもしれないけど、感情的なものからスタートし...
キリスト教圏で「菜食主義者」たろうとすることは、『ただ宗教がよしとすることでなく、自分の理性で判断できることに従おう』という意思表示でもある。神が食べて良いとしたものの...
なに?科学だと思ってる人がいるとでも?