2007-10-18

メディアにとって電通は必要なのだろうか


メディアにとって電通は必要なのだろうか。どうなのだろうか。要らなくてもいいんじゃないだろうか。いや、いない方がいいんじゃないだろうか。何故電通存在するのだろうか。誰が望んだのだろうか。電通がいたら、何か我々に利益があるのだろうか。それどころか、我々は損をするのではないだろうか。

電通の功績というのは何だろうか。何をしただろうか。思い当たらない。では何故、我々は電通を知っているのだろうか。それは目立つからだ。なぜ目立つのだろうか。それは電通が目立とうとしているからだ。なぜ目立とうとしているのか。自意識過剰自己中心的だからだ。

なぜ電通は、そのような性格になってしまったのか。おそらく育ちが悪いのだろう。かわいそうに。それは電通のせいじゃないし、おそらく広告のせいだ。広告がすべて悪い。電通広告を憎めよ。なんでお前は売れないコピーライトばっかり書いてるんだよ。なんでだよ。

売れないコピーライト書いて何になる。それで誰かが得をするのか?いや誰も得をしないな。得をするとしたら、それは電通自身だ。電通は、みんなの為に売れないコピーライトを書いているフリをして、実は自分が一番、得をするように仕向けているのだ。そうなのだ。電通政治力を高める為に、大衆を扇動しているのだ。電通とは、そういう奴だ。

広告を憎めよ。広告がお前を、そんな風にしたんだから。広告を憎めよ。お前の敵は、なんだろう。それは広告だろ。消費者ではないはずだ。むしろ消費者広告被害者だ。お前は広告を憎めよ。消費者と共闘しろよ。

by 「○○にとって△△は必要なのだろうか」ジェネレータ

http://kagonma.jpn.ch/hitsuyounanodarouka/

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