障害者のバンドについてのニュースが流れた。それが非常に稚拙な演奏だったので、私は思わず、「こういうのって人非人と分っていても、何でわざわざニュースで流すかなぁ、と思う。誰も見たくないと思うんだけど」と口走った。障害者という割引(あるいは加算)がなければ見るに耐えないレベルの演奏を、わざわざ電波に乗せる必要があるのだろうかと思ってしまうのだ。持ち上げること自体、好きになれない。過剰に賞賛しなくてもいいだろうと思うし、微妙な思い(痛々しいというか)になるので見たくない、とも思ってしまう。チャンネル変えろよ、という話だが。
「別に普通にレベル高い演奏ならともかく、こんなのならわざわざ取り上げる必要なくない?最年少受賞若干何歳!!、みたいな座りの悪さを覚えるわーこういうの見て嬉しい人がいるんかな」とも言った。
そしたら同席していた友人が一言。
「犬が芸してるのを喜ぶのと一緒ちゃう?好きな人がおるんやろ」
…すごい非道な発言だったのだけど何かしら非常に納得する部分があった。でも犬の芸は私も好きだし、あれは純粋に見事な部分が多いと思う。この微妙なもやもや具合をもうちょっとで解決できそうな感じなんだけどそのもうちょっとが難しい……
/追記
演奏者が障害を持っていなければ放送される価値もない演奏を、ただ障害者であることを理由に放送されるその現状が気持ち悪いのかもしれない。やっぱり犬の芸は、他の犬にはできないことを訓練してしているわけだから、比べると犬に失礼だったかもしれない、と思った。
そういうのは拍手しなきゃいけないものなんじゃない?出来不出来はともかく。 ハンデを持つ人間がハンデを乗り越えようとがんばるって言うストーリーをありがたがる人たちが多いよね...
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実は単体での出力競争である陸上競技の殆どで同じことを思う。 体操は単純な機械には真似できないからスゲエと思う。 球技とかレスリングは相手の居る「ゲーム」だからカテゴリが違...
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