金持ちに苦労があることと貧乏人がもっと苦労してることも矛盾しない。両方苦労してるからといって程度の差が軽視されてる気がするんだよね。貧乏人が苦労しまくってるという現実を過小評価したいから、金持ちは苦労してるとかわざわざ言うんだと思うわけ。
あーなんか分かるわ。事あるごとに、「金持ちになったらなったで様々な苦労が」とか「金持ちも貧乏も苦労するよ。程々が一番」とか言ったりするけどさー、それって金持ちが貧乏人に妬まれたり恨まれたりしたくないからってのと、金持ちじゃない人が、金持ちになれないから、いわゆる「すっぱいブドウ」論理で「どうせ金持ちになったって苦労する」って思い込みたいだけなんじゃないのー?って思う。
そりゃ、金持ちにも苦労があるのは事実だろうし(金持ちの幸福度調査をしたら普通の人と同じであったという調査結果を見た事あるが、どんな調査法だったのやら)、普通が一番とかはある程度当たってるのかもしんないけどさ。でも↑のような、いやらしい思いが、多かれ少なかれ(個人的にはかなり多めに)含まれてると思うんだよね。「人の苦労はものさしではかれない」事をうまく利用して、やたらと「だから皆同じ程度の苦労をしているんだよ」的な流れに持っていくけど、いくら長さや重さのようにきっちり計れないからといって、金持ちと貧乏人、先進国と発展途上国、美形とブサイク、等など、どいつもこいつも皆等しい苦労な訳がないじゃないか。「皆等しいというのは誤りだ」なんて証明はできないところにつけこんで、「皆同じ」なんて風にしようとしてる風潮が腹立つ。悪魔の証明みたいな話だ。詭弁にしか思えない。金持ちが貧乏が羨ましくて金を手放したなんて聞いたこともないし、先進国はもう発展途上国には戻れないし戻るつもりもさらさらないし、美形はブサイクに整形してくれなんて言わない。その逆は普通に有り得ることにも関わらず。
別に、現実は厳しいんだとやたらに絶望したい訳じゃない。ただ、変に誤魔化したままじゃ、何も変わらないじゃないか。生半可に慰めた所で、何も変わらないじゃないか。酷い現実があるからこそ、それを変えようとする力も出てくるわけで。変に目を逸らしてジワジワ死んでくような感じが、正直イライラして仕方ない。
貧しい人の多くが大変なことと、金持ちには金持ちの苦労があることは別に矛盾なんかしないし、悪いけど俺は他人の人生は他人の人生でしかないと思っているのでそこに変な自己投影...
金持ちに苦労があることと貧乏人がもっと苦労してることも矛盾しない。両方苦労してるからといって程度の差が軽視されてる気がするんだよね。貧乏人が苦労しまくってるという現実...