文京区の高級住宅街を歩いていたら、道ばたに立派な桐たんすが置いてあった。
最初、引っ越しかなにかで、これから家の中に運び込むところかと思った。
それを見てやっと、ああ、捨てられたんだと気づいた。
たしかに家の中で場所をとっている古いタンスは邪魔臭くもあるだろう。
けれど、桐たんすの機能性や持ちの良さは、何代も受け継ぐにふさわしい、大変素晴らしいものだ。
こんな風に捨てられてしまうのを見ると悲しくなる。
生活スタイルって、そんなにも、変えていきたいものなんだろうか。
古いものを大事に使うことは、時間も場所もお金もかかり、難しいことだ。
人が自然と便利で楽を求める生き物ならば、古くて手がかかるものは捨てられて行くのもしかたがない話だ。
それとも、古いものを大事に使う手間暇がかけられない現代の生活を嘆くべきか。
そのたんすがまだ使えるのに捨てられた、捨てた人はもう二度と桐たんすを使う事はないという前提で考えているけれど、 ぱっと見は分からないけど、もう使えない致命的な不具合があ...