2007-07-27

徒然

小さい頃って、習い事とかしてても、目的意識というのがなくて漫然としてた。

友達がやってるから何となくとか、親が入ってみたらといったからとか、なんかかっこよさそうと思ったからとか、そもそも始める理由がそんなもんだったけど。

その上目的意識がない、目標にするものがないから、余計つまらなくて、なんかただ続けてるだけ、みたいな感じになりがちだった。なんつーか、「今何をやってるんだろ?」「今やってる練習って何がうまくなるためのものなんだろ?」って、感じで(実際にはそんな明確な疑問すら持ってなかったけど)、今自分がやってることが何に繋がるのかイマイチわからないまま、スポーツでも、音楽でも、なんとなく続けてた。

でも大学受験を経て、ようやく目的意識が大事だという事に気付いた今。

小さい頃、これに気付いて、「何ができるようになりたいのか」「そのためになにをすべきか」「今やっていることは、何ができるようになるためで、それは自分の目標と合致しているか」という事に意識的であればよかったのにな、もっと楽しかったろうし、腕も伸びたろうになあ、と思う。まあ、今気付けただけよかったけど……。

自分で気付けなかったのもしょぼいが、誰も大人が教えてくれなかったというのもなんだか悲しい。なぜ教えてくれなかったのだろう。今自分が過去の自分に何かを教えるなら、まず第一に目的を教えるだろうと思う。自分が何をやってるかわからないと、身が入らない。大事なポイントだと思うのだが……ぶっちゃけ教える中身なんかちょっと後回しにしたっていいから、目的意識を教える方が、子供にとってはいいんじゃないかと思うんだけど、親も、小学校先生も、習い事先生も、それをやるのがとにかく当然であるかのように、ただ中身を教えてくれただけだった。大人になると当たり前すぎて、目的というのを教えることを忘れてしまうのだろうか。

小さい頃、「なんでこんなことをしてるんだろう?」とか「今やってることは、全体のどのくらいの位置なんだろう?」とか、そういう事を感じていても、親や先生に聞けなかった。当たり障りの無いことは軽くいえても、あんまり自分の内部に関わることは口に出しにくいという性格上の事もあったけど、「なんでこんなことしてるの?」「これなんのためにしてるの?」なんて聞くと、「そんな事はいいから、とにかくやりなさい」「またアンタは細かい事にこだわって」「なんでって、アンタがやりたいっていったからでしょ(そういうことじゃなかったんだけど、当時の自分はそれに反論するほどの言葉をつむげなかった。「なんか違うんだけど、なんていえばいいんだろう」という感じ。ていうか、今も、直接話している時だと咄嗟に出てこなかったりする。なんと説明すればいいか考え込んでしまう)」とか言われるので、なんだか言えなくなったってのもあると思う。今もだけど、昔から、細かい事が気になる(といっても他人にとっての細かいことであって、自分的には細かくないのだが)タチで、でもそれをいちいち聞くたび、「アンタはまーたそんなこと言って」的対応をされるので、「自分のこの性格はあんまりよくないのだな」と思ったり……

今思うとそんな彼らの対応は自分で言うのもなんだがマズかったように思う。何も影響受けてないつもりだったけど、やっぱり教育ってのはでかい。最近昔自分が大人にされた対応を思い返してみては、「正直、親として、あの時の対応はよくないような」「教師として、あの対応はよくなかったのでは」と思う事がある。でも、彼らも人間なので、多分それは、仕方が無い。完璧なんて有り得ないのだから。寧ろ当時を客観的に振り返ることができるようになった今を喜ぶべきなのだろう。

自分で自分を教育できたらいいのだがなぁ。

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