2007-06-05

自分メモ

ある集団に対し最大公約数的にイメージを定め、そのイメージで語ってしまうという事が往々にして起こるけれども、あくまでそれは「最大公約数イメージ」に過ぎなく(まあつまりステレオタイプというのか?ちょっと違うか?)、寧ろそのまんまが当てはまる人の方が少ないがゆえに、話しているうちに「で、そんな人どこにいるわけ?」みたいな事になりがち

その最大公約数イメージを作り出してる一つの要素要素の単位では当てはまる人もいるのだろうが、それが全て集まったイメージに該当する人というのはたいていの場合ほとんどいない。だが話し合うときはそのイメージで話し合おうとするから、どんどん現実と乖離する。

更に酷い場合には、そもそもその最大公約数イメージを作り上げる集団(これから対象について話し合うひとたち)の視点にかなり偏りがある場合もある。その場合はまず、最大公約数イメージを作り上げる要素の選出からして偏っているためにイメージも偏る(だが、似たような人たちが集まる為、寧ろその人たちにとってはうまくまとまってしまう。同じような偏りを持つ人間が集まるので偏りに気付かない)。更に、その偏った最大公約数イメージそのもので、対象を語ろうとする。更に偏る。非モテの語る女性観などがコレにあたる。

ある集団、あるカテゴリに属する人物について語るとき、客観的にそれらを捉えるなど有り得なく、結局は我々は実際に出会った数人の人物を想定して話しているに過ぎない。例えば男女で言えば、結局は「俺/私の周りの男/女は」という事に過ぎなく、それを超えられない。もっと酷い場合、「実際に出会っても居ないのに」語る場合も有り得る。テレビで見たそういう集団のイメージ雑誌で見たそれ、漫画で見たそれ、などなど。そして、そんな、テレビ雑誌等のイメージで語ってしまう本人は、それを「大体合ってるから問題ない」と実際に出会ってもいないのにそう思い込んでいる。

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