小さい頃からずっと人のことを悪く思ってはいけない、ということを暗黙の了解にしてきた。そして逆説的に人から悪く思われないように、ということを最優先にしてきた。ただそれは的確に空気を読むという方法によってではなく、自分を最大限に押し殺すという不器用な方法によるものでしかなかった。だからひとりぼっちになるということはあまりなくても、人と深く交わったという体験(別にそんな大げさなことではなくて、誰かと夜通し話して飲み明かしたみたいなこと)は皆無に等しい。
そんなこんなの積み重ねで今は鬱で大学を休学していて、例に漏れずほとんど誰との関わりもなくなってしまったのだが、ふとこれまで自分と関わった数少ない人たちのことを思い出してみると、どうでもいいような人がほとんどだったと気づく。それはとりもなおさず自分が限りなくどうでもいい存在だったということの証明になっている。おそらく、まっとうな人からみれば「あいつは一体何を考えているか分からないしあまり関わりたくない」という印象を持たれるのだろう。友達がいないということ以前に、自分が関係を持ちたいと思う相手に興味を持ってもらおうとするプロセスがすっとばされている。興味のない人間関係に関心を失うのは必然の結果だった。
はてな界隈は非モテ、非コミュ、メンヘルといったタームに集約されるコミュニティの存在が大きく、しばしば話題に持ち上がるが、そこまで深い関心を持つことはない。自分自身間違いなくすべてにあてはまるにも関わらず。これらはネガティヴな側面を持ちながらもその反面、モテたい、仲良くなりたい、元気になりたいという強い意志が表れているけれど、自分にはその気持ちがあまりにも薄いからだろう。結局は楽しそうにしていたり、もがいて苦しんでいたりする人たちのことを、ネットワークのフィルタを通してぼんやりと斜めに見ているのが心地いいのだと思う。それにも関わらずこんなことを書いてしまったのは、はてな界隈の路地裏にいるかもしれない自分に似た誰かに関心があったからかもしれない。
disコミュニケーションって大事だよ。 小さい頃からの積み重ねだけどさ、 それには殺し合いにならない為のdisりかたの 力加減も覚えなきゃいけません。 近頃その力加減もわからん馬...