2007-05-26

オタクバッシングアイデンティティを見出す人たち

なんか自分が高校生ぐらいのときの父親に対する感情のことを思い出す。

父親のダメさに対して、それこそ"全存在をかけた"嫌悪感を感じていた頃の。

オタク的な自我が自己愛的なものに満ちている、というのは理解できるけど、なんでそれほど直接的な害を受けた訳でもないのに、"存在してるだけで絶対悪"ぐらいの勢いで、執拗に叩くのだろう。

自分の父親に対する感情(それは自分の中にあるものを投影してるだけだとカウンセラー先生は言ったけど)は未だに全く整理がついてないけど、少なくとも、父親の(そして自分の中にも満ち満ちている)自己愛的なものを、この世界に存在することを決して許してはならず、滅さなければならないものだ、と思っていても、何も変えられないし変わらないんじゃないか、と考えるようにはなった。

かといって、肯定する気には全くなれないし、どうすればいいのかは未だに全く分からないけど。

滝本竜彦とか古谷実とかは、そこらへんのことを描いてるんじゃないかなぁ(勝手な受け取り方なのかもしれないけど)。

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