子供の頃、つってもぶっちゃけ、恥ずかしいけど高校くらいまで、
なんだかんだいって現代の世界ってのはちゃんとしてるんだ
公平で論理的で、正しい世界なんだ
歴史の授業で習ったような、あんな不平等だったり不便だったり
非論理的だったりする理不尽な世界じゃなく、ちゃんとああした
過去を乗り越えた結果としての、「ちゃんとした」世界なんだ……とかいうことを漠然と信じてて
勿論それは世の中の色々な事を知っていって粉々に破壊されて
「あっ、現代社会つってもあんま進歩してねえ」って事に気づいて「あっ、全然この世の中
ちゃんとしてねえ」って事に気付いて、まあ普通に絶望したり逃避してみたりしたんだけど
それでようやくそういう認識になったと思ったんだけど
それでもまだ、ふとした時に「あ、自分はまだ世の中が理不尽でないと信じてるのか?」
と気づくときが有る。小さい事だけど、例えば、誰かと言い合った時とか。
議論中、ふっと気付く。自分は、「論理的に正しければ相手は納得してくれるはずだ」とか
「どんなDQNな事を言う人でも、その自分の論理が間違ってる事に気付けばそれを認めるはずだ」とか
そんな事をうっすらとでも、心の中で思っているのだという事を。
俺はまだ懲りてないんだ。
いつまでたっても懲りないし学習してない。
どんなに話し合っても分かり合えない人がいるとか、驚くほど言葉が通じない人とか、
驚くほど他人の事を考えない人とか、そういう人がいるってことを
まだ実感できていないのだろうか。出会ってるのに、認めたくないのだろうか。
段々世の中が怖くなってくる。
何も信用できないししたくない。
正直もう世の中なんて捨てたい。死ぬまで自分の世界にこもっていたい(精神的な意味で)。あでも、宗教ってそういう事?
こんな事を今更思ってる自分も恥ずかしいしていうかもうわっかんね
何書こうとしたんだっけ
要するに生きるの面倒くせええええええええええええええええ
色々考えんの面倒くせええええええええええええええええええええええええええええええ
でもそういう性格なんだよな
め・ん・ど・い
甘い期待をするから絶望する。 最初から絶望していれば、時々起こる奇跡のような出来事にただただ感謝の日々である。 しかし、人生に対して底抜けに甘い期待をしている人間がいれ...