http://www.asahi.com/culture/update/0321/015.html
人間とプログラムの対戦ってやる必要あるのかな。プログラムの開発者とかマスコミ辺りには面白いネタとして扱われるかもしれないけど,対戦する当のプロにしてみればまるで人類代表みたいな感覚でプレッシャーを突きつけられている。かつてのチェスの場合は精神的に病んでしまっていたんだったよね。一方で世間ではニュースになってえらい騒ぎようだった。
技術は日進月歩だし,開発者たちは勝利を目指して日々改良を重ねている。改良の結果,やがて人間をうち負かすときが来て「プログラムが人間に勝った!」と紙面を飾るのが想像できる。それは開発者たちにとっては大変な名誉だと思う。でもだから何だっていうんだろう。
将棋でもチェスでもオセロでも限られた時間の中で自分の持てる実力と集中力を競い合うもの。でもプログラムは別に1人で作らなきゃならないわけじゃないし,完成させるまでに様々なアルゴリズムやパターンを組み込んでいく。それにはそれ相応の時間がかかっているんだから,いわば持ち時間無制限の対戦相手と言っていいんじゃないのかな。何よりプレッシャーを受けない。これで人間の威信を懸ける意味はあるのだろうか。
威信とか関係なくて、強いプログラムを作るのが素晴らしいことだからじゃないかな? ゲームとかのデータファイル見ると、ついつい解析してみたくなっちゃうのと同じなんじゃないか...
http://anond.hatelabo.jp/20070322003749 誰でも知ってることで頂点を取るってのは 楽しいものなのです 意味もなく円周率数万桁覚えてる人もいるっしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20070322003749 そのプログラムを作ったのも人間なので、人間の威信はなくならない。
http://anond.hatelabo.jp/20070322003749 人間とプログラムの対戦ってやる必要あるのかな。プログラムの開発者とかマスコミ辺りには面白いネタとして扱われるかもしれないけど,対戦する当の...
そこで囲碁ですよ(違)。 http://anond.hatelabo.jp/20070322110805 違うっつー事もないですよ。目指すは人間の知能を超えることなんで、チェスの次は囲碁将棋、その次はその次で、対抗できる...
http://anond.hatelabo.jp/20070322130321 人工知能も人生に疲れて、人工知能ニートの誕生。
「チェスの次は囲碁将棋」 ではなく 「チェスの次は将棋、将棋の次は囲碁」 だと主張してみる。
http://anond.hatelabo.jp/20070322130321 いやまぁ囲碁なら将棋と違ってコンピューター代表と人類代表が最強の座を懸けるような事態にはそうそうなりそうもないので、囲碁ならそういった葛藤云...