2007-03-19

私は祖父に溺愛されていて、私も祖父を溺愛していた

ある日突然あなたのおじいちゃんよ、と母が私に年老いた男性を紹介した。

父・母・私の典型的核家族の中に、ぽんと老人が混ざった。

痩せぎすの体と日に焼けた顔、まるで猿のようだなとぼんやりと思っていた。

それが5歳の冬の出来事。

詳しい事情は大人の中で掻き消されてしまったから

何故祖父と同居することになったかは未だによくわからない。

とりあえず祖父は母の弟夫婦に追い出された、と言うことだけは理解した。

祖父は頭が悪い人だった。

足し算引き算がギリギリできる程度の人で、でも私のことを溺愛してくれていた。

だから私も祖父が大好きになってしまった。

小学校の高学年に上がる頃、祖父が急に痩せだした。

痩せぎすだった体はもっともっと細く棒きれのように貧相になり

日に焼けた褐色の肌は土気色に変化していた。

不審に思った母が病院に連れて行った所、末期の癌だと宣告された。

肺癌。

ヘビースモーカーだったからかもしれない。

祖父には詳しい事情を伝えずそのまま即入院

半年後食道に転移

更に半年後、脳に転移

癌が祖父の体を蝕んで行き

抗がん剤が体力を食いつくし

脳の腫瘍を焼く治療記憶までもが薄れていった。

私は学校休みの日には祖父の好きな食べ物をしこたま持って母と病院へ通った。

甘いものが大好きだからドーナツを持って

卵焼きが大好きだから必死に卵焼きを焼いて

干し柿が大好きだから干し柿を探して

伝えることも忘れてがむしゃらに祖父の好きなものを持っていった。

ある日、遂に祖父は母のことを忘れてしまった。

「どちら様でしたかな?」

母は気丈に振舞っていたけれど、家に帰って泣いていた。

それからしばらくして、何もわからなくなってしまった祖父が

病室でぽつりと言った言葉

「○○ちゃん、今日も来てくれてありがとうなぁ」

私の名前。

母の名も父の名も自分の名前さえすっかり忘れてしまった祖父は

私の名前をはっきりと呼んだ。

驚いて祖父を見たが、祖父はそのまま眠ってしまった。

1月3日、祖父と出合って丁度10年目の冬。

私の名前を呼んだ祖父は、そのまま永眠した。

どうしてあの時、祖父は私の名前を思い出したのだろうか。

ただ、あの時の声はきっと永遠に忘れないだろうと思う。

私は祖父に溺愛されていて、私も祖父を溺愛していた。

それだけのことかもしれないけれど。

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