昔、つきあっていた彼女が亡くなったときの事です。
丁度、その当時に元気をなくして家にひきこもっていた時に
以前より親しい女性の友人(学会員)が、創価学会のイベント司会を依頼してきました。学会員になるつもりはなかった事は友人にも何度も話していたのでイベントで仕事をするくらいであれば別に構わないよと引き受けました。自分でも気分転換になればなと思ったからです。
イベントが無事終わり、帰る時に友人が「ちょっとお茶していきません?」と誘ってくれたので近所の喫茶店に行きました。イベントの話もして、彼女が亡くなった話もしました。友人は彼女とも顔見知りでした。
友人は「落ち込んだらダメですよ、前を向いて行けばきっと良い事がありますから」と強く励ましてくれました。
「私たちはこういう時はお題目を唱えるんです」
「お題目を唱えて自分の壁を越えるんです」
お題目?
その時に話が変な方向へ向かっていることに気付けばよかったのですが、彼女を亡くしたあまりに素直に聞いてしましっていました。
そのうちに友人は「もうすぐ知り合いが来ます」と言ってしばらく話続けました。
すると身体の大きいいかつい男性とカワイイ細身の女性がやってきました。二人はどうやら友人の知り合いのようでした。友人は二人に僕の心情や経緯を何故か話し始めました。
「増田(匿名)さん、あんた辛かっただろう」と男性が切り出しました。細身の女性も「気を落とさないでね」と話し始めました。
それ以後「辛い時はお題目を唱えれば必ず救われて幸せになれる」と男性が熱弁で話し始めました。僕は「はぁ・・」ととりあえず友人もいる事から黙って聴かざるを得ませんでした。
やがて、男性が「近くで夕方から寄り合いもあるから、それまで落ち着いて増田さんの話も聴きたいのでちょっと寄っていかないか?」と言い、友人も「行こうよ」と言ってきました。
僕は毛頭より学会には加入するつもりもない事を友人に念を押してついていきました。
その寄り合い所と呼ばれる場所は普通の民家で、地区会長かなんかというちょっと偉い人の家だと説明されました(詳細は知りません)。
和室10畳くらいの部屋に通され、大きな木製の和室テーブルが
置かれていて、そこに座るようにいわれました。
座った対面に大きな仏壇が置かれていました。
(へー、ご先祖様かな?)
学会がどんなものか知らなかった僕は何にも不思議に思いませんでした。
やがて男性が「ま、お茶でも」とその家の奥さんらしき人がお茶とお盆一杯にお菓子を出してきました。
男性が最初に口火を切ってきました。
「増田さん、さっきの話になるけど。人が死ぬってのはやはり避けられんよな」
「ええ・・それはわかってるんですが・・やっぱりどうしてもまだいる気もするんです」
「その気持は、よくわかる。」
「はぁ・・」
「でもな、それでいつまでも落ち込んでいられんのでは?」
「そうですね」
「やはり、いつかは自分の壁を乗り越えねば」
「え・・」
男性は暫く「壁を乗り越えろ」とばかり言ってきました。
「その点、学会に入ってお題目を唱えて自分を信じれば必ず幸せになれるんだよ」
話が急転しました。
「いや・・学会のはなしは・・」
答えましたが言葉がさえぎられました。
「ここにお仏壇があるでしょ?ここにお題目を唱えて自分の壁を乗り越えると信じれば必ず幸せになれるんだよ。」
「なむあみだぶつ・・とね」友人が後に続いて言います。
読んでて逆に死にたくなった。 傍目には人の死に目を食い物にしてるようにしか見えん。
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