毎日、恥辱にまみれながら生きている。誰が悪いわけではない、自分が悪い。バスに乗り遅れてしまった以上、時間がどんなにかかっても、遠回りしてでも、行けるところまでは行くしかない。けれど忍びがたき恥を抱えたまま、あてもなく右往左往することにもどうやら疲れてきてしまったようだ。分別は若さと引き換えに与えられるが、それに見合うものを何ひとつ用意できなかった者には、ほとんど最後通告のようなものでしかない。
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