2007-02-22

終電は明るすぎるから嫌いだ

まったくもってウンザリングスないちにちだった。会社の新人君は仕事を教えている最中に寝やがるし、クライアントからは意味不明な修正依頼が来やがった。こういう日に限って風が冷たい。電車に乗りこんでも寒い。うちのローカル電車は駅に長時間停車している時はドア閉まってるはずなのに何でだよ、とよくよく見たら戸口で35歳ぐらいの男女が見つめ合ってる。女は車内、男はホームに、ふたりの間を阻むものは何もない。あーはいはい、チミたちは熱いんだろうけどね、オイラはさみーんだよ、さっさとボタン押してドア閉めな、と邪眼を使って念を込めていたら男が踵を返して去って行った。女はじっとそれを見つめていた。

やれやれ、と動き出した電車と共にため息をつく。今日も最終だ。ふと目をやると、女が下を向いてぐらぐらと揺れていた。ひどく酔っぱらっている。手すりを中心にダンスでも踊るかのように、くの字になったり寄っかかったり床にくっついたりしている。スリムジーンズからお尻の割れ目がのぞいていた。周りに立っていたサラリーマンは別の場所に移動した。誰も気づいていないふりをしていたので、わたしは窓ガラスに反射した彼女を眺めていた。あんなに酔っているのに置いて帰るなんて、男も甲斐性ねーな、送ってやれよ、と同情してしまうほど直視できない酔い方だった。もしかしたら不倫関係かもしれない。

下車駅に近付いた頃には、女はドアの前で床に座り込んでいた。降りる人たちが困ったように立ちはだかる。でも誰も何も言わない。うわぁ…という空気が車内いっぱいに満ちているだけだ。この瞬間がひどく醜悪で、ひどく好きだ。「だって現代人だもの、」とつぶやきながら、自分も後ろのほうからどうなるか見ていた。皆跨ぐのかと思いきや、女が突然立ち上がってホームに降り立った。手提げを車内に忘れたまま。やっぱり誰も見向きもせず次々と降りていく。反射的に忘れ物を手にとって、女を追いかけていた。「あの、これ忘れてます」と腕を掴んだら、反対方向にぐらりと揺れた。まるで逃げているみたいだ。「立てます? あの」ともう1回強く掴んで、顔を見上げて言葉を失う。泣いていたのだ。顔が涙とファンデーションと皺でぐちゃぐちゃになっていた。彼女は激しく泣いていたのだ。

わたしは自分の知らないところで確実に進行する物語を思った。普段は自分を中心とした物語しか知らないけど、ふとした時にこの世に無数に存在する、個人という名の物語を感じる時がある。わたしが目にした涙は、はっきりとした彼女物語の断面だった。ただ見えていないだけで、自分の斜め後ろを、真横を、少し前を、物語は通り過ぎてゆく。きをつけて、と何とか声をかけバッグを手渡した。女は反対方向の電車に乗って消えた。

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