2007-02-12

そんな事やらなくていいよ。だって、私の知り合いはやらなくても成功している。


他人の武勇伝を自慢する人間の気持ち悪さについて

何かこう、自分の前で、自分の全く知らん人の武勇伝を聞かされるって、

凄く気持ち悪いんだよね。

「私の友達にこういう人いるけど」みたいな参考話としてなら気持ち悪くないんだけど、この違いって何なんだろう?



結構この疑問のひとつの答えが、この記事にあると思った。

watapocoの日記 - 脱オタクファッションとか、初心者はこれを着ろとか言ってる人達への違和感

私はセンスはないけど、洋服は大・大・大好きで、本当はファッション関係に進みたかったくらいなので、ファッション業界の人と付き合ったり友達になったりすることが結構あるのです。

あとファッション業界ではないけど、DJとか、プロサーファーとか、一応「おしゃれ」とか言われそうな感じの人達。

それでまあ、印象論なんだけど、そういう人達とこういう「オタクどもを啓蒙してやるぞ」って人達は全然違うファッション感を持ってる感じがするんだよなー。



もちろんこの人が、自分の知り合いを自慢したいからという理由で、この記事を書いたとは思わない。

でも、読み手からすれば、何故だかこの人の記事は凄く気持ち悪い印象を受ける(少なくとも私は)。

で、この気持ち悪い印象は何だろうって考えた時に、思ったのは、


「他人(知り合い)の話で、自分の言っている事を正当化しようとしてない?」


という仮説だ。


「こうすれば成功すると思うよ。だって、私の知り合いはそれで成功した」

「それっておかしくない?だって、私の知り合いはこんなに素晴らしいけどそんな事してない。」

「そんな事やらなくていいよ。だって、私の知り合いはやらなくても成功している。」


だって、私の知り合いは

だって、私の知り合いは

だって、私の知り合いは

だって、私の知り合いは


きっと、ここが気持ち悪い点。

これはネット上だけじゃなく、リアルのコミュニケーションでも同じことだ。

自分の話の説得力を増すために、他人の話を引き合いに出すっていう行為は、

別に駄目じゃないけど、きっと嫌われる原因のひとつになり得る。

海外在住の経験がある、ちょっとセレブ気取りの女性に多い、

「私の住んでた街だと、こういうのは当たり前でしたわよ?」

みたいなアレの気持ち悪さは、きっとここから来てるんじゃないかな。

ビジネスマンのよく言う

「欧米では、これはすでに常識となっている手法ですよ」

みたいなね。

実は、あんたの方がマイノリティなんだよ。みたいな強引さ。


他人の話、知り合いの話、自分の住んでいた街の話。

そんなのは、目の前の問題に対する何の説得材料にもなってない事を、私たちは自覚すべきだと思う。

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