参考にされてる記事は比較的客観的にファッション業界の人の状態を知れると思うが。
むかつく人にはむかつくのか。
あれか、反芻して気づいたけれど、脱ヲタは"せねばならない"や"べき"であり。モードや単なるお洒落好きは"破壊して再構築"や"自由で移りゆくもの"というような思想だから相反するのだろうか。
ファッション業界がメディア化して迫る決められたファッションという威圧感と、その世界でまともに扱われるために"べき"でなければならない一般人の間で、脱ヲタクファッションが生まれたのだろうか。
やはりこの辺りの捉え方の差異は面白いな。
型議論を思い出した。あれにも多少関連することだと思う。事実はそこまで知らないが偉い人が堅苦しいお作法はおやめになって楽しめばいいのよと言うことがあるという。
だが型を知らぬものには型を教えねばならぬ。そしてファッションの型は完成されていない。堅苦しいスーツスタイルや行事事の服装を除けば代々伝わる流儀があるわけでもない。そもそもモードは型を破壊してきた。
その中で型を知ることも教えることも難しい。ぶっ壊してるんだからそうだよな。作った道をぶち壊しぶち壊し進んでいくものの道を極めるのは難しい。
全体的にモードの勢いが強くそれが各スタイルに影響の幅は違うが、影響を与えている感がある世の中だから尚更大変で動的になってる。
そのことによって人がひきつけられ巻き込まれていくからまた面白い。
その気持ち悪さの根源は何なんだろう? 「俺の友達、中卒なんすけど、今社長やっててー」とか 「マジ、その友達、スロ負けなしで、貯金凄い事になっててー」とか 「そいつが誘うと...
>http://anond.hatelabo.jp/20070211113516> 何かこう、自分の前で、自分の全く知らん人の武勇伝を聞かされるって、 凄く気持ち悪いんだよね。 「私の友達にこういう人いるけど」みたいな参...
参考にされてる記事は比較的客観的にファッション業界の人の状態を知れると思うが。 むかつく人にはむかつくのか。
そういうのを自慢するって言うのは、「そういう人と知り合いな自分もスゴイ」ってことなのかな。 ぼくは、自分の武勇伝を語る人も好きくない。