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オレの友達(女)がある男とつきあってた。お互い結婚も視野に入れてた。
ところがある日彼氏がバイクで事故って一生下半身不随になった。
つまり一生コドモは作れない。
彼女は死ぬほど悩んだ。
しかし結婚した。
夫婦にとってコドモの問題は非常に重要だ。
それに下半身不随の人と一生を共にするなんて想像を絶する困難が待ち構えているだろうから、一時の感情で決断するのも考え物だ。
なので彼女のような状況に陥ったときにそれでも結婚できる人はまれかもしれない。
彼氏と別れる選択をとる人を責めようとも思わない。
オレは彼女が「コドモを作る機能」を失ったときそれでも愛せるのだろうか?
もし愛せないとしたら、それはオレが彼女を「コドモを作る機能」という一面で捉えている瞬間があるのではないだろうか?
わずかかもしれないが、相手をモノ扱いしている瞬間ってないだろうか?
友達に対しても「コイツは面白い」「オレのことをわかってくれる」という理由で付き合っていたとしたら
「面白くなくなった」時「オレのことをわかってくれなくなった」時、そいつとの付き合いをやめるのだろうか?
それって「オレを面白がらせる機能」「オレをわかってくれる機能」として捉えてるところがないだろうか?