パクリみたいだけど、大志よりこっちの方が分かりやすいと思うんだ。
例えば勉強に絞って考えてみると、幼稚園・小学校低学年ぐらいは「親に褒められたい」から勉強した人はきっといる。テストでいい点とったりしたらいっぱい褒めてくれる。でも、小学校高学年から中学生になってくると、親に褒められることも減る。そのうち、「親に褒めてもらうため」っていう目的はいつのまにか消えてしまって、「なんのために勉強してるんだ?」と思う時がきっと来る。
そこで、目的を持たなくちゃいけない。無意識のうちにしていた勉強に疑問を感じたとき、「目的を実現するために勉強する」ことを自覚しなきゃいけない。「目的を実現するために勉強する必要がある」ってことに気づかなくちゃいけないんだ。
気づくのが遅くたって、目的さえあればなんとかなるよ! 勉強をして、目的を実現すれば、それこそ親が褒めてくれるんじゃないかな?
うまく言えないんだけど、小学校の担任が「勉強は自分のためにやるもの」っていう意味は、こういうことだと思う。目的をどう作る(決める)かは、まだ文章にしていくほど分かっていないけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20070109171145 「そんな(意に添わない目的を持つような)子に育てた覚えはありません!」と水を差す罠。 大抵はそこまで気にしようとすることはないんだろうけど。
今は何が目的なのか全然わからなくても、決められなくても、 将来の自分がいつか「目的」を見出した日に、格段に選択肢が増える。 目的を見失った日にも、自分を多面的に分析し、自分.