2006-12-09

友達がいない

あんまり友達って感じでも無いなーと思っていたらいなくなってしまった。

友達はそんなに素晴らしくない、でも楽しい。変な話をしてきゃっきゃ笑うのは案外に楽しい。友達がいなくなってからはできるだけきゃっきゃしなようになった。うっかりきゃっきゃしてしまうと、あとで残念な気持ちになるし、ああ俺は友達がいない、めそめそ、と思う。じゃあって、そのきゃっきゃした知人と友達になったらいいのだが、いやまて、と思ってしまう。友達になりたくない、接近したくない、ていうか俺はいつもなぜか余計な気を回して、向こうから親しくされないように、ってしてしまうしどうしようもない。阿呆だ。その知人が悪いんじゃなくて、誰でも一緒で、悪い。悪くない。友達嫌い。なんでなんで。というのもわからないので、考えたんですけど、矢張り、脳内ぐねってわからなくってってってってしまったのでした。

友達とは何か、というと、人間関係のことであり、人ではないと思っていた、というか僕にとってはやっぱり人ではないな。友達候補A君がいたとして、A君が僕の友達になってしまったとき俺にとってA君はA君であるというアイデンティティを失って、僕にとってのA君は「友達」という代替可能なものに変わってしまうなと思っていたのであった。A君が僕の友達になったところでA君がA君であるというアイデンティティ?(アイデンティティでいいの?)は実際のせかいでは全く失われないが、俺の世界でははっきり失われたように思ってしまう。距離が近づいた途端見下すとかではなくて、最初から誰も無価値なのかもしれないし、よくわかんねえし、俺の中でA君の価値が下がるとか自分はA君に真摯でないからいやというのでも多分なくて、俺は多分最初から人をなめてるようなやつで自分がクズなのを許容しつつ人を見下しているのかもしれない、ということを意識することによって、それを認識してる時点で自分はそんな悪くないしというか賢いよねーと思っているのかも知れずそれ僕はいやだ。A君は俺にとって結局なんでもない存在だ。くず以下だ。くずやろう。ということを、そりゃそうだ、ということを認めても良い。いや、。

だから、つまり、きっとあらゆる人間関係は代替可能なのであるということがいやなのかもしれない。だから、そしたら自分はほとんど誰の代替にもなれない無能だ。でもしかし、お父さんお母さんだってそうで、彼らはそんな無能ではないが、つまりは代替可能で、別に彼らでなくても大丈夫だった。記憶を失ったあとにこれがお母さんだよと別人を差し出されたらそれがお母さんだろうし僕はそれでいいと思ってしまう。お母さんにお母さん足りうるものを求めてなんていない。お母さんはお母さんであればいい。親友だって恋人だって。こんな恋人にはもうめぐり合えないかもしれないといって、記憶を消されたのちに違う人を、似た性格や嗜好や顔の人を恋人として差し出されたら同じ事を言ってしまうかもしれない。君だけだ、君だけしかいない、この世には、とか言ってしまう。目がきらきらしているとか、頭が良いとか、気が合うとか、ちゃんとしてるとか、そういうのの代替可能な人はどこにでもいる。僕が彼女にそこまで求めているかというと求めてない。偶然手に入った副産物のようなものばかりで、魂の色を求めるくらいの求め方でないと、そんな、「君じゃないとだめだ」なんて言えない。俺は記憶を消されて代替の恋人差し出されたときに魂の色が好みで無いと思わなければならないような気がしてしまう。しかし魂などそう信じられるものではない。

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