最期に、こんなほんとに自分のことばっかなことをどうして書くのかといえば、あたしにはひとりの友人もいないということで分かってもらえるだろうか。信用できる他人がひとりもいない、他人を信用してみようともしない、他人もまったくあたしを信用していない。
別に良いんじゃないかな、誰も信用出来なくて、友達いなくたって。
「そんなこと」で人の価値は決まらないさ。
たださ、
だからこういうことがどんなに恥ずかしく、みにくいことだと分かっていても話す相手がひとりも居ないあたしだからこうやって名前が無いことをいいことに、誰もあたしを知らないことをいいことに、誰が何を言っても意味が無いことをいいことに、此処でこんなことをした。
此処を作った人の考えを読んでいません。
誰が何を言っても意味が無いっていうのはちょっと違うんじゃないかな。
「ことば」は、放たれた瞬間から話し手の意図を伴って意味を持つんだよ。少なくとも自分はそう思っている。
話したいから話したんだろ。それで良いじゃねーか。「意味なんかない」とか言って、その意味の無さに自己陶酔してないか?
オレはあんたの友達じゃない。これまでも、これからもだ。
親近感なんかひとっかけらも感じねーし、よしよし可愛そうにねなんてクソつまんねー同情も示してやるつもりもない。
だけど、あんたが此処に書いた「意味の無いこと」を読む事は出来る。
たまにはこうやって「意味の無いこと」を返事として書くかもしれない。
それで良いんじゃねーのか?此処はそういう場所だとオレは思う。そう思うのはオレの我が儘なのかもしれないけどさ。
あれを書いてしまった意図を、布団の中で考えてみた。 あの頃に樹海に連れて行かれたということと、こんな母の呟きを聞いたから、ずっと不安でしょうがなかったんだと思う。 『あ...
最期に、こんなほんとに自分のことばっかなことをどうして書くのかといえば、あたしにはひとりの友人もいないということで分かってもらえるだろうか。信用できる他人がひとりもいな.
別に謝る必要はないと思う。 anond:20061120125630