はてなキーワード: 阿弥陀仏とは
あるっちゃあるし、ないっちゃない、のかな。
参考リンク張っておく。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1505325.html
http://anond.hatelabo.jp/20080724144120
どちらも悪や罪があって、それを神や仏が救ってくださる、という大枠では近い。
ただ、エホバの証人では救われない自由もあるよ、と。
この背景にあるのは、神と言うのが全知全能で、救うも救わないも意のままだけれど、個人の意思を尊重するよ、といったところか。
対して、浄土真宗では、あまねく人々は阿弥陀仏の他力本願で救われるわけだけど、そこには「救われたくない」という発想自体がない。
いや、発想がないというより、「救われたい」などと真に思わないのは悟りを開いた状態であり、そうでない人々を救うのが「いはんや悪人をや」であり悪人正機なわけで。
そういう意味では、エホバの証人の言うところも、原罪を持つ全人類が救いの対象なので、そういう意味では悪人正機的だけれど、しかし、聖書的な真実を知った上で、悪魔の誘惑による原罪を悔い改める、すなわち「汝姦淫を犯すなかれ」といった教えに従わず、悪魔の誘惑に乗る事が、個人の選択として尊重されてしまう。
これは、元々なかった原罪を、悪魔の誘惑に乗るという選択により発生させたという考えからくるのだろう。しかし、悪人正機は、元々人々は煩悩を持ち悪人であるがゆえに救われたいと思う人々は他力本願に報恩謝徳し救われる、という選択などない前提の下にある。
つまり、他力本願がないゆえに、であろうと思う。