数日前、あるラーメン屋の前に長蛇の列を見た。
寒空の下、肩を震わせ足踏みしてまで列をなす彼らのエネルギーはいったいどこからやってくるのか不思議だった。
寒さに苦しむ顔をしていながら、彼らの表情からはあきらかに喜びが感じられる。
まるで矛盾している彼らに、冷たい滝にうたれる僧侶の姿が重なった。
修行中の僧侶はさぞや苦しんでいるかと思いきや、実はこのうえない喜びを感じているらしいという話を聞いたからだ。
ラーメンは好きだけど、はっきりいって有名ラーメン屋のラーメンの味がほかとくらべて別格に美味しいとは正直感じられない。
有名ラーメン屋は際だって舌の肥えた人を相手に味をチューニングしていて、それは一般人には及びもつかない領域だ。
有名ラーメン屋の前に列をなす人々は、メディアが偶像として演出した有名ラーメン屋の信者になったんだろう。
彼らが列をなしているのはラーメンの味を楽しむためではなく、ラーメン屋の中で宗教的体験をするためだったんだ。
宗教というと批判的な態度かと取られそうだけど、そうではない。
純度の高い宗教的な体験を味わうためには、高い集中力が必要に違いない。
俺が宗教的体験に没入できなかったり、有名ラーメン屋の列の一部になれないのは集中力が足りないからだ。
有名ラーメン屋にならぶ彼らを見たとき、一瞬ばかにしてしまった。
ラーメンである必要性があまり感じられない
高菜、食べてしまったんですか!!??
anond:20081230213649 解体新ショーより。 「待つ」ことで通常より美味しく感じるらしい。
違った。 http://plaza.rakuten.co.jp/dontennari/diary/200811170000/ 美味さも不味さも倍増するんだ。 ベストセラーも似た感じがする。
メシ屋に並ぶ暇があるんなら、自分で作れってはなしだよな。 俺はいつも大量に食材を買ってきては料理しまくり引きこもりライフ。もう最高