時々「殺したくなるほど好き」っていうフレーズを見かけたんだけどさ。
最初はなかなか理解できなかったんだ。
だって、「殺す」っていうのは相手の居なくなった世界を受け入れるどころか、
好き過ぎるから殺す、っていう論理展開が全くわからなかった。
逆に「殺されてもいいほど好き」っていうのはまだ何となく理解できた。
相手が親密な人間であるほど「コイツにだったらこれくらいまで許せるな」というラインは
広がっていくものだし、それを一番極端な形で表現したものが「殺されてもいい」なのかなーと。
「好きだからこそ束縛したい」の最上級として
「殺したい」っていうのが出てくるのかな、とも考えたけど、それはどうも筋が通らない。
束縛を望むのはずっと自分の元に居て欲しい、離れていって欲しくないという想いが根源であって、
相手を殺してしまうことは、むしろ結果的に解放に繋がってしまうように思える。
それが最近ようやく理解できるようになったのは、
殺すが1:n対応なのに対して、殺されるというのは1:1だという事に気付いたから。
その気になれば、人はその人生の中で一人でも十人でも何百人でも「殺す」事はできるけど、
人生に終止符を打つ「殺される」という経験はどう頑張っても一生に一度しかないし、
「殺される」相手というのも一人しか選ぶ事は出来ない。
そういう観点から見たとき、誰かにとって唯一の絶対的な存在のなかでも
一番てっとりばやく居座れるポジションとして「殺された相手」という値に
自分を据えることで満足した気になるのかもな、と思った。それだけ。
すごくへ理屈的に考えれば殺され方次第では同時に複数から殺されることも可能な気がする。 同時に左右から刺されるとかだけじゃなく、殺しのギミック自体を複雑化すればもっと可能...
「好きだからこそ束縛したい」の最上級として 「殺したい」っていうのが出てくるのかな、とも考えたけど、それはどうも筋が通らない。 束縛にもいろいろあって「他の異性と楽しい...
ああなんか合点した。 俺は嫁に殺されたいほど好きだが殺したくはない。 それはたぶん そういう観点から見たとき、誰かにとって唯一の絶対的な存在のなかでも 一番てっとりばや...