「自分の考えを上手に表現したい」「自分の気持ちを伝えたい」
ってことへの執着心が強い。ものすごく当たり前のことだけどね。
これがこの文の命題(A)である。以下筆者はこれを論証するのであるが、比喩(A')が用いられてる。
料理好きな人って「おいしいものが食べたい」って気持ちが強いらしい。
(中略)
本を読んだり外に出て研究して、それを取り入れる。とにかく満足しない。
私に足りないのはこの執着心なのかなぁ、と思った。
あたかも料理好きな人がおいしいものが食べたいという強い気持ちから料理好きになるように(A')、物書き好きは上手に表現したいという執着心でいい文を書く(A)。私は執着心がないのでいい文が書けない(-A)。こういう論理構造になっている。
つぎに筆者は裏返した命題(-A)を論証するために筆者の体験を引っ張ってくる(-A')。
私はライフハックとか読んでも「うまい人はこうするんだ、へー」くらいにしか思わない。
絶対に「じゃあ試しに実践してみよう」とか思わない。
やる気があったら、「試しにやってみた」とかで記事を書くしかないのに、
せいぜいはてブして「参考になったわー」で終わり。
しばらくしたら、そんな記事を読んだことも忘れてる。その繰り返し。
自分でもホントバカだなぁ、と思う。
裏返した命題(-A)を筆者の体験(-A')という形に変えて繰り返すことで(-A)を論証し、ひいては(A)も然りという構造をとっているのがわかる。
ここまでに筆者は執着心のなさゆえにいい文章が書けない筆者を通し、文を書く上での執着心の重要さを説いた。
たぶん私は「素材」が重要だと思ってる。それ以外の努力を軽く見てる。
書いてることの内容が良ければ、あとは読み手が頑張ればいいじゃん、と思ってる。
読み手のために頑張るってバカバカしいと思ってる。
「うまく表現できれば気持ちいだろうな」とかなんて考えたことがない。
「自分の思い通りに書けると安心だな」とか考えたことがない。
これも執着心のない筆者という具体例(-A')を通して裏返した命題(-A)を繰り返している。
どちらかというと、テクニックより、この「上手になると気持ちいい」とか
「ブログ続けてたらこんな成長があったよ」って報告のほうが、今は読んでみたい。
最後はいい文章を書くのに必要な執着心(A)を筆者が得られるような報告を読みたいと結んでいる。
【追記】
「自分の考えを上手に表現したい」 これは違う。 自分の考えを、相手に伝わるように表現したいだけ。 だからうんうん悩んで工夫するだけ。上手に表現ってなんだそれ。
これは「ライフハック系」「テクニック」に属する立場からの指摘だが、
わかるよわかる。そういう一般論を語って「俺はわかってる」って顔をしたい気持ちすごくよくわかる。
私だってずっとそう思ってたもの。でもね、そう考えて文章うまくなりましたか?って話。
筆者の主張は一貫して執着心の必要性(A)にあり、
君が言ってることは「前提」にすぎなくて、それだけじゃ足りないってことがわかったのさ。
それは「ライフハック系」「テクニック」の類の先にある新たな課題なのである。
結局のところ「自分もうれしい」って気持ちがないとだめなんよ。
君みたいに「もっともらしい話」に満足して、それを他人に押し付けようとするやつって多いけど
そう思うなら確かめてみればいいと思うよ。
筆者は執着心がないために(-A')指摘への反論を中途で放棄した。ここでも筆者の文章の下手さは一貫して執着心のなさ(-A)に起因しているのである。
執着がないなら追記しないんではと、誰もが思っている。
「自分の考えを上手に表現したい」「自分の気持ちを伝えたい」 ってことへの執着心が強い。ものすごく当たり前のことだけどね。 料理好きな人って「おいしいものが食べたい」って...