一青 窈さんのPVがすごすぎる件について - 深町秋生の新人日記に関連して。
日本の映像作品で、障害者(とくに知的障害者)演じるのがみんな美男美女なのはどういうことなんだろうな。
香里奈に大沢たかお、香取慎吾、いしだ壱成、和久井映見などなど。
海外でも「フォレスト・ガンプ」や「カーラの結婚宣言」、「アイ・アム・サム」みたいな作品があるから、「(知的)障害者=心はピュア」と描くのは日本特有の現象ってわけでもないだろうけどさ。
こういう「ピュア」描写ってすごく自分の実感からかけ離れている。
というか、知的障害者の心理を「ピュア」という概念で言い表すことができるとは思えないんだ。
(知的)障害者がピュアってことは健常者が「二枚舌」や「裏表」、「下心」というものを成長するにしたがって獲得していくこととの対比として表されているんだろうけど、私の実感では(知的)障害者の心理って「ピュア」/「二枚舌」といった対立軸では表現しきれない、そもそもそれらとはかけ離れた、無関係なところで動いている気がするんだよなー。
知的障害者の行動を健常者の立場からみて、健常者の世界観でいう「ピュア」というカテゴリーにぴたっと貼り付けてしまうっていうのが、なんとも心の狭い話だなーと感じてしまうのであった。
美男美女を使うのは観客の共感を得やすいからっしょ。 ニートやひきこもりの映画も美男美女を使って作ると偏見が緩和されるかもね。
逆に、美形でもピュアでもない障害者は差別しても構わないってメッセージを送っていないかな? そもそも障害者差別する人間って、その障害者がピュアかどうかなんてところには留意...
共感の話は、共感してもらったほうが商品が売れるからでしょ? 差別をなくそうというアピールのために共感を得ようとしているわけではないと思う。
ある映画を評して「片腕の男が犯人だなんて、障碍者に対する差別だ」ってネットに書いて、「それは逆差別」とやり込められていた人を思い出した。
逆に昔の子供向け雑誌の防犯特集みたいなので、「次のような人には気をつけよう 1.びっこを引いている…」みたいなのがあったな。 ネットで見かけたんだが。
あやまれ! アルジャーノン役をやっていたユースケ・サンタマリアにあやまれ!
ユースケ・サンタマリア「チューチュー」