最近はケータイ小説がヒドいと話題になっている。しかし最近、自分の周りを見ていて、ケータイ小説読者に限定しなくても日本語がヒドい。周りというのは、それなりの学歴を持った友達達のことである。
彼らは良く小説を読んでいるようだ。趣味が違うので同じ物を読むことはないので、詳しくは知らないが恋愛ものや流行ものをかなりの冊数読んでいるみたいだ。私が遅読なせいもあるが、おそらく自分の5倍、10倍は読んでいるんじゃないだろうか。それは結構なことだと思う。
だけど、彼らの書く文章や、読解力、日本語力のなさに驚くことが度々ある。別にうまい文章を書けとか、物語の深い部分を読み解け、などど言っているのではない。最も基本的な文章、他人に分かるように書くということが全然出来ない。基本的な単語、基本的な日本語の綾を知らない。俺は一体何歳の人間と話しているんだろうと思わされるときがある。とても本人には言えないので、ニコニコ笑って聞いているか、せいぜい少し指摘する程度にしている。
日本語力の低下は読書離れと関連付けられることが多い。しかし彼らも先に書いたように沢山の本を読んでいる。私は彼らの読む最近の小説達に問題があるとは言わない。原因を考えてみて、結局子供の頃の読書数に差があるのではないかと推測するようになった。私は決して多くはないが、小さいときから本は読んできた。普通の児童向けの本である。こういった本は別に捻った文章は出てこない。しかし正しい日本語である。子供の頃に正しい日本語に触れてきたか、否かという差が予想以上に差を生むのではないかと想像している。大人になってから触れても間に合わない、というものがあるのではないのではないだろうか。
これらは全て想像である。別にこの想像が外れても良い。しかし、彼ら友達にとって数々の小説達が如何様に読み解かれ、受け入れられているのか非常に気になるとこである。
参考URL:
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/11/post_1515.php
そもそも現代の日本語がだらけすぎなのがいかんのですよ やはり文章は普通文で書かなければなりませんね あと、 参考URLを見て反語が通じないとかありますがそもそも現代日本語は反...