親友の息子が死んだ。
その人とはかなり歳が離れていておれはただの若造なのだが、
その話を聞いたらかなりこたえた。
身近な人の死、その息子は14歳だった。死因はまだ聞いてない。
去年友だちの母親が死んだときはそんなにこたえなかったのに。
やっぱりこれから未来がある子が死ぬ、というのは人の息子とはいえつらい。
今までドラマや漫画で聞きかじった「死」に関する台詞が一気に重さが増した
「息子を返せ」とか「人の死は重い」とか「だれにも人をモノ呼ばわり権利はない」
とか、 その言葉たちが目の前の状況にかぶる。目の前で現実に起きている若い子の死。
死に関する言葉が重くのしかかる。それらの言葉が本来もっていた重み。それが自分を押しつぶそうしているかのようで。
僕は人の死に影響されすぎているんでしょうか。
知っている人の死というのはそれだけ重いということだろうね。 自分なんか、クイズタイムショックの司会をやってた田宮二郎が降板してまもなく自殺したと知ってから死生観がらっと...
耽溺しているところ悪いが、それ、割と普通だ。 もっと友達と話しろな。 微妙に関係なさそうでありそうな過去増田↓ http://anond.hatelabo.jp/20070815230644
あれから何日かたって勉強も遊びも手につかなくなっていた。 自分が楽しんだり頑張ったりするのはあの子に申し訳ないんじゃないかというまったく不合理な考えに陥っていた。 でも...
誰かの死が人に悲しさを延々と引きずらせるならば、笑ったり楽しんだりする人が全くいなくなってるはずだからな。 みんな、うまく忘れていくんだ。
これを見るがいい。
今日葬儀があった。 やっぱり葬式や四十九日というのは、 死んだ人間のことをぐるぐる無限ループで考えることにケリをつけるための儀式なんだな、と思った。 息子さんの死因はとう...