2007-01-30

あたし、納豆に騙されたの?

騙されて損するのは誰なのか。

さて、そもそも騙されたのか。

損をしたのか。

騙されるというのはその対象者、本人の問題である。

本人が気付かないのならば少なくとも本人にとっては騙されていない。

この場合、騙されていると観測できるのは部外者のみである。

ではいくら部外者があの人は騙されていると思っていても

本人が騙されていないと思うのならば

本人にとってはそれでいいのではないか。

いけない。

騙されたことだと部外者が暴露するからである。

「あなた騙されましたよ」と

いっけん親切な人やらメディア、つまり暴露者がいて知らせたがるのだ。

騙されていない本人は暴露されて

そこではじめて騙されたと認識し、損をしたと感じる。

なぜ騙されてはいけないのか。

暴露者によって

本人が騙されたと知ってしまうリスクがあるためである。

つまり暴露されるから騙されてはいけないのである。

暴露者は社会利己正義や哀れみがその原動力である。

しかし、その行為が真であるといえるのか。

注:この話は生活を営む際に失うと致命的なもの、

社会的信用や多額の金銭などを搾取される(する)という

ベルの『騙される』については言及してない。

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